2011年11月11日金曜日

ニルヴァーナ〜俗世における涅槃寂情の境地を求めて

※東京事務所の加藤初投稿です。



本日のお昼は、神谷町のインドと言っても過言ではない
南インド料理屋「ニルヴァーナ」の本格派チキンカレー。
辛くて濃厚な味のカレーはまさに絶品。


円形の容器に入ったクリーム色のデザートに
(それがあたかも存在していないかのような素振りでもって)
まったく手をつけずに食事を終えるか否かで、
彼あるいは彼女がNirvana people(ニルヴァーナのテイクアウトを頼みなれた人物)
かどうかがわかる。
端的にいってしまえば、
幸か不幸か
毎回おまけでついてくる南インドのデザートは、
日の出ずる国で生活してきた人々の口には
十中八九あわないのである。(笑)

しかし、
Nirvana people率がほぼ100%に近い
東京事務所のスタッフの中には、
「出された料理は、残さず食べなさい」
という幼少期から親に言われ続けてきた教えに背き、
何のためらいもなくデザートを残すことに対して罪悪感を感じる者も少なくない。


昔、インド陸軍の取材をしたことがあったが、
彼等の基地での食事は半端な量ではない。驚くほど食べる。

このニルヴァーナクライシスを味わった次の瞬間には、都会的生活の中ですっかりスポイルされた自分の姿が次々とフラッシュバックし始めるのだ。
駅のホームにある自動販売機の隣に設置されている缶とペットボトル専用のゴミ箱に、ポケットに入ったちり紙を入れたとき、酔いつぶれてホームに倒れこむサラリーマンの姿をまたぎ、家路を急ぐ他の乗客と共に地下鉄に乗り込んだとき…。

そうすると、

目の前にぽつんとおかれた小さなデザート、そのなんとも無抵抗な丸形のシルエットに愛しさを感じずにはいられない。彼あるいは彼女は、思いきってプラスチック製の小さなスプーンを取り出し、得体の知れない粒状の素材で溢れたクリームをすくいあげ、おそるおそる口に運ぶのだ。

ところが、
いくら
「口の中に広がっていく粒たちのパレードがもたらす独特の食感も、一瞬我慢すれば大丈夫だぞ。」
と自分に言い聞かせても、
結局は完食できずに大半を残してしまうのが現実である。

食べたくなかった
   ↓
食べようとした
   ↓
食べられなかった

「料理を残す」という行為一つをとっても、
その結果のみから、その行為に対して
即座に倫理的判断を下すことは
できないのかもしれない…。


人が人との関わりの中で何かをするそ
の背景には、たとえどんなに
小さくとも何らかの物語が
あるのだろう。
だからこそ、他人の不祥事や、失敗に対しても
頭ごなしの糾弾や誹謗から始めるのではなく、
まずは、「物語」の糸をうまく紡ぎだしていくことに専念して生きていきたい。
だから今夜は、
群衆が行き交う東京が奏でるネオン交響曲にそっと耳を澄ませてみたい。
その曲を構成する一つのちっぽけな四分音符として転び、つまずきながら、
歩いても歩いても、
どうあがいたって
私は私のままなのだから。

むずかしい話しはいいから、早く食べたまえ。

皆さん良い週末を♫

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